埼玉県東松山市に二か月ほど、仕事で滞在する機会がありました。休日の暇つぶしに何をすべきか思案した結果、名前だけは以前から知っていた「さきたま古墳群」に行ってきました(2026年4月26日)。
ヤマトタケルの名を刻まれた鉄剣が出土した、日本史上重要な遺跡です。日本史の教科書の最初のほうに登場しますから、絵面だけはご存じの方も多いのではないでしょうか。

古墳までは、まず高崎線・行田駅まで移動。行田駅からは市内循環バスが利用できます。私は一時間に一本のバスをタイミング悪く逃してしまったため歩いて移動しました。
ランチは、行田水城公園内のヴェールカフェにて。明治期の建築、忍町信用組合の店舗を利用したものです。外観もメニューもレトロ。ナポリタンとプリンを注文しました。二階席からは池で釣りをしている人々が見えました。


ランチ後、川沿いを古墳公園へ歩いて移動。全体的に長閑です。

古墳公園内に到着して、まず観光物産館さきたまテラスへ。はにわのお土産がかわいらしくてお買い上げ。無料のパンフレットが充実していました。

公園内には、埼玉県出身として見逃せない、埼玉地名発祥の地の石碑があります。きれいなとこで育ったね…

さきたま史跡の博物館へ。

古墳で出土した勾玉、土器、埴輪、服装品がコンパクトにまとめられています。
土器は煮炊き、埴輪は葬送に使われたそうです。古墳は当時の有力者の墓で、死後の世界で困らないように故人を囲むように土器や馬具、動物や仲間をかたどった埴輪が置かれたそうです。

この古墳で最も有名なのは、ヤマトタケルの名が刻まれた鉄剣でしょう。

「ヤマトタケル」の文字列は日本各地で出土した鉄剣から見つかっているそうですが、この鉄剣は文字数が最大で、全て判読可能であることが貴重なそうです。
この鉄剣の文字によると、鉄剣の主はヤマトタケルにお仕えしていたそうです。このことから、西暦700年代前半、奈良に所在する大和政権がはるか東方であるこのエリアまで治めていたことがわかるそうです。

鉄剣の文字は確かに判別できました。鉄剣には文字を掘って金を埋め込んであるそうです。
当時の日本でこのような鉄剣とともに埋葬される人物とはいかほどの者だったのか…想像が膨らみます。古墳と出土物にどれほどの手間と時間がかけられているのでしょうか…
公園周辺の散策へ。丘のように見えるものが古墳で、調査できていないものも含めると日本有数の古墳密度だそうです。

古墳がこれだけの密度で存在するのは、当時の有力者の権力が相当強かったのでしょうか。
このような古墳が九州でも東北でも見つかるとは、交易によって意外と画一的な社会が作られていたのでしょうか。その画一的な社会がのちの「日本」ということなのでしょうか。

