「この記憶があるから、多少嫌な目にあっても人を嫌いにならずに済む」、そんな記憶がある。それは私にとって、遊牧民の家族と過ごした一晩の記憶だ。
この日出会った家族からもらった優しさは、人はこうも在れるということを教えてくれた。

幕営
Sary Mogul pass へのトレッキングを終えて、その日の幕営地を探した。
町からアプローチへ至る途中に、ユルトやトレーラーハウスが点在する土地があった事を思い出し、そこまで戻ることにした。水が得やすく、テントを張れる程度に平坦で、風が比較的穏やかな空間は荒野が広大だとは言え限られている。

テントを張っていたら、トレーラーハウスの方から男性がやって来て、「ここはやめた方が良い」、みたいなジェスチャーをしてきた。テントを少し移動させればOKだったらしく、彼は満足そうに戻っていった。
意味は分からなかったが、土地の人の言うことはを聞かねばならない。むしろ、部外者として拒絶されなかったのでほっとした。

テントを張り終わったとき、おじさんが再びやってきて、「どこから来た?」的な聞くので、「Japan」と言ってみた。キルギスの人々は日本人と聞くと喜んでくれるが、どうしてそんなに喜んでくれる?昔兄弟だったから、という言い伝えだけで説明しきれない好意を感じる。
おじさんは、器から食事で掻き込むジェスチャーをし、「あっちで」と示した。一緒に食べようとのことらしい。彼のハウスで夕食を食べようとお招きしてくれたのだ。
後で呼びに来る、と伝えて去っていった彼の後ろ姿を見ながら、もしかして彼は客人が訪れたら夕食に招くことが義務だと考えているのだろうかと思った。
実際昔から、遊牧民にとって客人は手厚く迎えるべき対象だそう。移動生活をする遊牧民にとって、思わぬ客人は貴重な情報や物品をもたらしてくれる存在だったのだろうか?
バイクで移動中、郊外では伝統的なユルトと同時に牽引式のトレーラーハウスも多く見られた。中を見てみたかったけれどこんな形で叶うとは。
トレーラーハウスの荷台へは靴を脱いで梯子で登った。荷台には扉が2つあって、車両前方と後方で部屋が分かれていた。前方の部屋では、おばさまと小学校高学年くらいの女の子が湯気の中で鍋を覗き込んで作業をしていた。
私たちは後ろの部屋に通された。空間の大きさは、4人家族が川の字になれる程度だった。床には大きさの異なる敷物が床に敷き詰められ、天井には小さな明かりが一つ。最後部の棚には毛布が畳んで押し込まれていた。トレーラーハウスは金属だから炊事の熱をよく伝えるのだろう、部屋は暖かかった。
床の絨毯の上に座ると、おばさまが食事を持ってきて、薄い敷物を引いて並べてくれた。じゃがいもと薄い肉が入った焼きそばのようなもの、パン、リンゴ、見知らぬ乳製品何種類か、お茶、甘い何か。

お茶は緑茶だった。西・南アジアでは紅茶がメインなのにキルギスでは緑茶が出てきて意外だ。
甘い何かは「Navat / Нават」で、一見蜂蜜を結晶化したのか思うような黄金色だった。砂糖水をスパイスを加えて煮詰めて結晶化させたものらしい。
焼きそばはおそらくラグマンで、ジャガイモと薄い肉が入っていた。パンは、硬くて水分量が少ないタイプ。リンゴは小ぶりで、シャリシャリしていた。
乳製品は、乳脂肪分の高いものから低いものまで多様だった。一つは多分シンプルに牛乳、素朴で甘い。一つは多分ヨーグルト、日本で食べる普通の無糖ヨーグルトと近かった。一つは液体の乳脂肪分で、パンに塗って食べた。パンの酸味とパサみに合って本当に美味しかった。
私達とおじさん、おばさま、小学生高学年くらいの女の子と男の子、合計6人で、言葉が通じないながらも会話を試みた。
何とか理解したことは、おじさんは昔ウラジオストクに兵隊として居た、生活用品はオシュまで買いに行く、トレーラーハウスは車でけん引して動かす、ということだ。
私たちは、バイクでオシュから来て、日本では学生をしていて、私たちは友人同士である、そんな事を伝えた。
ジャガイモや麺類や果実は標高の高い僻地であるこの谷では貴重なもののはずだ。そんな食材を振る舞ってくれて、笑顔で話してくれたことに感謝が言い尽くせない。
高緯度なので夏は日が落ちるのが遅いせいか、皆夜行性だ。夕食が終わって23時位だったと思う。
この谷は町から離れており明かりと電波も届かない。電気は通っておらず、暗くて星が良く見えた。

朝。


おじさんが様子を見に来て、当然のように朝食にお招きしてくれた。かたじけなく、ありがたくお邪魔した。昨晩と違い窓から光が差し、部屋の中を埃がゆっくりと舞い、リンゴに光が当たっていたのを強烈に覚えている。
谷の居心地が良かったので、夕方に発つことにしてゆっくりした。家族が川で洗濯をして草地に広げて乾かしているところや、トレーラーハウスの下で涼む鶏、他のユルトで囲われている馬や牛を眺めた。


この谷で過ごす子ども達が近づいてきた。彼らはバイクとカメラに興味があるようだった。試しにカメラを渡してみて、撮れた写真達。キルギスで一番の思い出の写真達だ。





谷を発つとき、ありがとうを言いに行った。すると、おじさまは固く握手をしてくれて、おばさまがチーズのようなものをくれた。屋根の上で布をかけて発酵させているらしく、たくさんの白い塊が布の下に行儀よく並んでいた。

乾燥して固いのと、半乾燥して柔らかさが残っているものをもらった。柔らかい方は美味しかった。固い方はどうやって食べるのか本当に分からなかった。
チーズだと思ったものは「Qurut / Kurut」。ヨーグルトを丸めて天日干ししたもので、固いものはスープで溶かして食べたりするそうだ。
いつの年も、夏になればあの谷にあの家族は戻るのだろうか。またお会いしたいなぁ

雑な思考
もし自分がこの谷に生まれたら、どんな毎日を過ごすのだろう。家畜の世話・家事・買い出しをして…。それが普通だったら、じゃない方の生活即ち都会的な生活を羨むのだろうか、それともこの生活を愛するのだろうか。
部外者の私の目には、自然の中で生き、都市で消耗することのない彼らの暮らしは、とても贅沢で羨ましいものに映った。「生き物として生きる、それ以上何もいらない」というような。
しかし今どき、インターネットや教育を通じて、都市の利便性や海外のリッチな暮らしを知る機会がある。キルギス国内でも遊牧をする人もいれば、発展した首都ビシュケク、歴史ある大都市オシュなどで近代的な暮らしをする人がいる。発展を享受できる暮らしがある中で、遊牧生活を維持するのは大変難しいのではないだろうか。
家族の収入になりそうなものは家畜(羊十数頭と鶏数羽)だが、飼育には時間が掛かり生計を立てられる規模には見えない。一方で、生活用品やガソリンや食品は必要だ。
キルギスに詳しい方に聞けば、実際のところ、キルギスで遊牧生活をするのは祖父母世代で、親世代は都市で働き、孫世代と一緒に都市で暮らすケースが多いそうだ。
子どもたちは拙いがらも英単語を知っていたので普段は学校に通っているのだろう。外国人に強い興味を持ち、私たちがどこから来たのか、どこに行くのか興味深々に聞き、バイクに乗せて、カメラを触れせてとか強い好奇心を持っていた。
祖父母世代は家畜を飼いながら暮らしており、あの美しい谷は夏の放牧地で、春や秋は少し標高の低い場所へ、過酷な冬は都市の断熱性の高い頑丈な固定家屋へ戻り、自らと家畜を寒さから守って暮らすのだそうだ。
家畜は非常に資産としての価値が高いそうだ。祖父母世代が遊牧をしながら暮らすだけの価値はあるのかもしれない。
ここでハッとする。私が生き物として素朴で美しいと感じた遊牧生活もキルギス人家族の暮らしの一つの側面に過ぎないということだ。彼らは近代的な暮らしから隔絶されているわけではない。都市生活も取り入れて、繋がりながら暮らしている。それが今風のやり方なのだ。
そこで、新たな興味が湧く。世代分業的遊牧生活は今後維持されるのだろうか、ということだ。都市で働く親世代は、老後に遊牧生活に戻るのだろうか。私はそう思えなかった。都市での暮らしに慣れ、年金を受け取るようになったら、身体的にきつい山の生活に戻る必要性は薄い。
そうなれば遊牧生活はどうなるのだろうか、現にキルギスでも、遊牧を営む人は減少傾向だという話もある。生活が都市型に変化していくのは避けられない気もする。
ただ、私は都市生活というのは「生きるために働く」のではなく、「お金がなければ都市生活を維持できないから、お金のために働く」という側面を持つと思う。生きるのに必要な最低限の遥か上の水準が、都市での生活を維持するには必要だ。しかも都市生活では収入を上げるための競争は避けられない。
それとも、ゆるやかに都市生活を選びながらもそこまで消耗する社会にならない場合もあるのだろうか。そうだとしたら国民性やアイデンティティによる。キルギスの人達にそういうバランス感覚があってもおかしくはない。
人間は、産業革命・近代化によって生身の体で可能な労働力を越えて富や成果を生み出せるようになった。その結果、資本と労働を投下して大きな利益を回収し、さらにその資本を事業に投下するという資本主義社会が生まれた。私たちは落ちぶれないようにその中で頑張って生きている。
でも、これは人間という生き物にとって良いことだと思えない。「良い」の定義も定まっていない中でこんな問いを考えることは難しいが、「良い」を未来永劫人間が健やかに生きることとするなら?
水槽に魚を入れすぎたら病気は流行り、争いは起き、水質は悪化し、全て死んでしまう。
同じことが人間社会にも言えるのではと思う。人間の群れにも見合った規模感があるはずだ。実際のところ、貧富の差は拡大し、争いは起き、子どもを得る時期は遅れ、環境を破壊している。結局、人間は技術的には進歩したとはいえ、地球に暮らす人間という種全体を制御する知恵や能力を持っていないということなのでは?人間以外の生き物と同じように。
都市での暮らしも、伝統的な暮らしも、どちらかが人として「正解」というわけではない。しかし非対称だ。私たちは彼らの生活を一方的に破壊できてしまうが、彼らが私たちの生活を破壊することは決してないからだ。例えば攻撃をしかけたり、暮らす環境を破壊することで。
生まれた場所・状況が違っただけ、それで違う社会を形成した。結果私たちの暮らしは科学技術や経済力とともにある。私たちには持ってしまったそういう影響力をどう制御するのかという責任がある。でも、その責任を全うできているのか、、。
そんなことを考えながら、キルギスの谷に座っていた。

